ダウン症の息子は現在26歳。
26年前…
妊娠7か月の検診でおなかの赤ちゃんの心臓が時々止まる。
成長も遅い。
主治医から大学病院受診を進められ、受診しました。
受診結果は赤ちゃんの手足が短く、心臓に水が溜まってる。肺も育っていない。
ダウン症だと思われる。
無事に生まれる確率は低く、おなかの中で死ぬかもしれない。
検査の間中は不安でどうしようもなかったが、検査結果を聞いた後は頭の中は真っ白。「やっぱり」
と言う言葉だけが繰り返されました。
食事は喉を通らず、自分の将来だけが不安でした。
「おなかの中で死んでも自然分娩で産むしかない。」「赤ちゃんが出てこなかったら、おなかの中で砕いて出す。」と主治医に宣告された時は怖かったです。産むのも赤ちゃんが死ぬのもただただ怖かったです。
この思いを誰もわかってくれない。
もちろん夫も分かりっこない。この日から出産の日までは辛かった記憶しかありません。
上の子どもが二人、(12歳と10歳)いましたが、面倒を見たのかどうかの記憶がありません。
本来ならうれしい産休も辛さと耐える時間になりました。
検診にいくと成長はしていないが毎回ちゃんと生きていました。
いつ死ぬのだろうか?と思いながらの検診であり、産休でした。
そしてついに陣痛が来ました。予定日より4週間早い陣痛でした。
どうやって病院に行ったのだろうか。
2月で寒い日だったはず。おなかの赤ちゃんが生きているのも不思議だったが陣痛が来て出産するであろうことも不思議でした。
1500グラムの息子。なぜか産声を上げた。
お医者さんは死ぬって言ったじゃない? この子を延命してないで次の子どものことを考えたらどうか?とも言ったよね。
「え?」「生きてる」「それも産声を上げた…」
うれしいでもなく、悲しいでもなく、不思議だった。
生まれた赤ちゃんを見せてもらうことはなく、抱くこともなく、数時間後には息子だけ別の大きな病院に救急搬送されました。
救急車の音を一人の病室で聞いた。「いつ死ぬのかな」と思いました。
誰かにこの辛さを話したかったが、医者も看護師も来ない。上の子どもの前では泣かないと決めていたので泣きませんでした。
でも、一人になると泣いていました。
どんなに不幸になるのかと思って泣いていました。
ところが、今ではこの時が嘘のように幸せだ。
息子は「お母ちゃん大好き」と言って抱きしめてくれ、私が低い声を出すと「怒るなや」といさめてくれます。
心臓にも腎臓に病気もありますが、今のところはサッカーも楽しめています。
「生きて生まれてきただけでも親孝行だ。」と言った母の言葉が本当になったと思いました。
ミーモ